女子エアライフの金メダル
 杜麗(テ・レィ)は、アテネオリンピックで全競技を通して初めて金メダルを獲得した選手です。
 一方で「女性スナイパー」として日本で期待されていた三崎宏美(日立情報システムズ)は悔しくも予選22位に終わりました。決勝(上位8人)にさえ進めませんでした。
 「結果でなくて残念」と悔しさをかみしめトップバッター28歳の三崎選手は敗北したのです。
 それもそのはずです。その差は歴然としていました。
 82年3月5日生まれの杜麗選手は、02年にも世界選手権女子エアライフル団体で優勝、同年のアジア競技大会・韓国釜山大会で女子エアライフル団体優勝、さらに03年のワールドカップ・クロアチア大会女子エアライフル個人で優勝している選手なのです。
 アテネ五輪では予選398点、決勝104点の計502点のオリンピック新記録でした。
アテネ五輪で初めての金メダルだったこともあり、その栄光のたたえ方は大変なものでした。
 北京首都国際空港では多くのファンが出迎え凱旋帰国を果たしただけではなく、中国の国家体育総局とオリンピック委員会からも「中国のスポーツ選手のすばらしい技術と精神を、世界に表明することができた。祖国のために栄誉を勝ち取った」と祝賀電報が送られました。
 年齢とともに精神的な強さが求められる競技であるのにもかかわらず、22歳の若さで、その射撃の仕方は冷静さを保ちながら強敵を恐れない勢いがありました。
 170センチ、体重55キロ、日本の三崎選手(身長159センチ、体重61キロ)よりひとまわり大きい杜麗選手は、小学六年生、12歳で射撃を始めました。
 高校一年生から始めた三崎選手より四歳早いスタートです。
 00年シドニー五輪では、10メートルエアライフで15位をとったことで、期待されたていた三崎選手は、日本のメダル第一号に及びませんでした。
 持ち前の繊細さ、敏感さがマイナスになったようです。
 「会場の床は並行でなく、射撃しようと構えたときに左肩が下がる感じがした」
 もともとバランスのいいフォームが持ち味な選手なだけに、こういった練習時とは違う感覚に対しての免疫ができていなかったのでしょう。
 北京五輪、金メダル候補には、杜麗選手に変わる強敵は今のところ見当たりません。