1.変貌した近未来的な北京の設備
 北京を初めて訪れたのは1995年。私は91年から香港に在住していた。香港からみると、中国の印象は「巨大な大国が香港返還を機に国を吸い込んでいく恐怖心と、中国にかかわっている香港人がみるみる成功していく野心」とが交互に頭に浮かんだ。私は中国のリスクよりもリターンの魅力を選択し香港での仕事を辞めて北京の大学に留学した。何度も訪問していたものの北京での生活は物がなく貧しく、そして不便であった。外国人用寮でさえ日本の刑務所よりひどいといわれるほどで、壁はむき出しでマイナス14度の寒さでも暖房は1日1時間のみ、3日に1回5分のシャワー時間、米がよく洗えなかったのか食堂の白飯には石が混入していた。共産主義による国に対する諦めから大学の売店は真っ暗で店員もやる気がない。物もあまりそろっていない。
 あれから10年以上が経ち、北京は五輪が開催されるまで世界中の期待とともに変貌していた。第3ターミナル空港の設備に始まり、五輪会場までの巨大なオフィスビルの概観には等身大の3倍以上もする大きな液晶テレビがつけられ、地下鉄にもバスにもレストランなど店の中にも液晶テレビからは北京五輪の聖火リレーの様子が繰り返し流されていた。ほんの数ヶ月前にも訪問しているのに毎回変わる近未来的な設備の北京に、まるで違う国に来たかのような感覚を覚える。むろん政治的なコントロールは残されているが、10年前に比較すればだいぶ政治色は薄くなくなっていた。
2.会場の設備投資ハード面とついていけない個人の意識
 8月13日は女子バレー、中国VSキューバ、日本VSポルトガル戦を観戦した。その会場となる首都体育館は、北京市西部、地下鉄2号線と13号線の西直門駅から歩いて20分くらい。体育館まではタクシーは流れているが4斜線の大通りでお客が乗車している。とめられる状態ではない。五輪会場に設置されているというのに道路には首都体育館の標識の案内もなく、大変不便であった。
 北京では旅行ガイドの数も不足していた。地元の大学に留学している日本人学生や他ライバル会社からアルバイトとしてかけ集められていて、ガイドは空港までの送迎係りに首都体育館の会場までの案内係というように役割分担があり毎回違う人が担当になった。会場まで視察したこともないガイドにタクシーもとまらない。車の規制もあり五輪のあいだは通常の旅行と違うため旅行会社はリムジンバスも用意できないとのこと。
 やっとのことで到着した首都体育館は2年前からリニューアルされた築40年の体育館。日本でいえば地方の市立体育館のような洗練されていない印象であった。体育館前にはロープを張っただけのスペースに人々が並んで体育館に入り、自分で座席を見つけて勝手に座る手順である。人手不足なのか10人ほどのボランティアスタッフは入場チケットをちらっと見て確認するだけであった。
 空港から走る車のなかでみた近未来的なビルとは相反して緊張感のないのんびりとした田舎に来たかのような雰囲気である。
 ところが驚いたのは、中国人観戦客の勢いだ。中国VSキューバ戦は中国人たちの興奮なりやまない「加油」(頑張れ)の歓声が異常なまでいつまでも鳴り響いていて、私の後ろの席からも足をドタバタ、頭もたたかれるような興奮ぶりである。試合では相手がボールを落としたとき、サーブを打ち始めたとき、とにかくあらゆる場面で1喜1憂し叫び続けていた。タイムのときでもウェーブ(人で波を作る動作)で会場いっぱい団結して応援していた。愛国心なのか初めての五輪会場になったからか中国人たちの応援にはこれまで感じたことのない、13億人の勢いと団結する力という新たな恐怖さえ感じた。
 体育館入り口の案内係はたった10人ほどで不慣れな学生のアルバイトが中心になっている姿と、多くの強烈な応援団が興奮して叫んでいる姿がどうもしっくりこない。いずれも先進国が求めるサービス産業が成熟していないとしかいいようがない。個人の意識のレベルが違うのだ。追いついていないことが感じられた。
 レベルの高い中国VSキューバ戦のあとの日本VSポルトガルは練習試合かとかん違いするほどレベルの差があった。すでに夜の11時近く、試合が終わったら中国人たちがどっと帰宅の途につくため観客も7割減り、日本戦は閑散とした応援の中で行われた。
 次の日、柔道の競技が開かれた会場もなんの変哲もない普通の大学の中の体育館で行われた。北京科学技術大学まではラッキーなことにタクシーが正門でとまってくれた。
 正門にはボランティアスタッフが5、6人いるだけでのんびりした雰囲気で警察官も公安もいない。2時間前に到着した私たちは「本当にここで行われるの?」と思うほど人も少なくいつもと何も代わらない普通の大学だった。たまたま通りがかった学生に、歩いて10分ほどの大学内の体育館まで案内してもらった。体育館の中にはただ五輪用の旗を設置しただけではあまり大きくない印象であった。人の集まりは時間ぎりぎり1分前で体育館の中は7割ほどうまった。
 入り口には売店が1つあるだけ。日本ではもう見られなくなったがちがちの食パンが2種類と菓子類が売られているだけだった。
 柔道観戦には中国人観戦客は少なく私たちの周りにはモンゴル人たちの応援団が日本側の応援も手伝ってくれた。あまりにも同情したくなったからだろう。柔道は日本の発祥だというのに応援客も少なく、敗者復活戦の鈴木桂治はドイツに横落とし、モンゴルにも1本負けでメダルも逃した。
 メーンスタジアム国家体育館の鳥の巣が陸上をはじめた日の15日に、入った。チケットがあれば正門から簡単なセキュリティチェックをして会場に入ることができるが、近くで待ち合わせをすると大変不便である。北京市1万台のタクシーのうち7000台しか鳥の巣近辺まで走れる許可がない。タクシーを乗り換えても近くから20分ほど歩かなければならない。会場までは大変遠く不便で標識の看板もなく外国人観光客もマスコミ関係者も不満がたまっているようでイライラしていた。 
 会場の中に入るとさすがに420億円を投資した鳥の巣だけあり、これまで見たこともない空間だった。誰もが中入って吹き抜けで直射日光が入ってくる天井を見て感動の声を上げていたほどである。
 それでもまたソフト面は劣っていた。日本勢では、男子ハンマー投げのアテネ五輪覇者、室伏広治などを観戦したが、広い競技場では右で女子3千メートル障害を加えた47種目と左で男子ハンマーなどが同時に事務的に淡々と数をこなしていて、アナウンスと看板での案内不足だろうか、大事な瞬間を見逃してしまった客がたくさんいた。
 売店にはパンにこだわるわけではないが、ここでも柔道が開催された大学と同じパンが2種類のみ販売されていた。デパートではもっとおいしいパンがたくさん売られているのになんでこんな昔のパンを販売するのだろうかとサービス精神を疑った。慣れていない若いボランティアスタッフが2人ずつ3組、30分以上待っている客をよそにレジを打ちながら復唱してゆっくり販売していた。直射日光が入ってくるからのどがかわいて倒れそうなくらいだというのに飲み物さえ簡単に購入することができない。機転のきかない20代の若いボランティアスタッフに指導するマネージャークラスの人もいなかった。
 鳥の巣でも、設備は立派でもサービスにおいての面、1人1人の意識の改善には余地を残していた。
3.五輪で期待した観光客は例年より減少
 13億人がサービス産業においての意識を高めれば観光業は拡大する可能性がある。中国経済は実際に低迷し始めている。背景は、マスコミで騒がれている五輪ショックというよりも、これまで急激に成長しすぎた中国経済の抑制効果があらわれはじめるのが今年からといったほうがいいだろう。
 日本の場合は、1962年から1964年の五輪景気が大会後には65年不況になった。五輪関連の公共投資額が1.07兆円で当事の名目GDPの3、6%であった。ソウル大会の場合では、名目GDPで1.7%だった。これらに対して北京大会の公共投資額は約4兆円で中国の名目GDPの1、1%である。 
 確かに鳥の巣の場合は設備投資を回収するには30年かかると政府が発表している。五輪そのものの経済効果、特に観光業などにおいては下駄をはずされた思いだろう。五輪開催中でも15%も下落した急激な株価の暴落に対して政府は最大6兆円の支援策を掲げたものの、それによる株価上昇への効果は1時的なものでしかなかった。
 この金額では少なすぎるのだ。 
 中国の経済成長率は、平均9.8%で29年間続き北京五輪まで高成長を維持してきた。貿易黒字額では、2005年に1,000億ドルを超え世界最大規模になってから、07年には約2,622億ドルと2年で2倍以上に急拡大している。各級政府の財政収入も年平均で20%も増えている。これらの急激すぎる成長から米国などから反ダンピングなどの訴訟問題などを抱えている。それでも最大規模の成長と最短でこれだけ成長した国はほかにない。
4.中国経済の低迷の理由は輸出依存型
 しかし、もっとも期待していた観光産業において収益が減少しているように四川大地震や物価高騰の影響で、24半期連続で成長率の伸びが鈍化している。さらに上海総合指数は昨年10月に6,000から3分の1近く下落した。最大の原因は中国経済が輸出依存型であり国内消費が拡大していないことである。世界経済の低迷で中国の輸出は減少傾向にある。今後もこの傾向は続くとみられる。特に米国サブプライムローンの影響により米国向け輸出は減少している。
 国内の内需型のビジネスに移行すること、13億人の市場の魅力があるといわれているのにGDPに占める国内消費の割合は5割以下で、先進国に比べて半分以下でしかない。個人消費が拡大するためにはサービス業の発展がかかせない。市場経済に本格的に移行するにはもっとも大事なことであり、今もっとも中国が苦手としている分野である。
 その輸出依存型の中国経済に対して、輸出に依存しているのが日本である。38カ月連続で対中輸出は前年実績を上回り続け、原材料を中心に鉄鋼、建設機械、工作機械などの生産財、石油化学製品など素材、自動車や電子部品などの産業は実際、中国経済成長により業績が回復し、大きな恩恵を受けた。日本企業は米国、中国経済へ依存しすぎるのではなく他の国にも分散することが大事である。
 中国は数年以内に公害というさらなる目に見えない深刻な問題に直面することになるだろうが、日本企業は環境対策分野でも省エネ技術があり、ビジネスとして市場の拡大のチャンスとしても期待は残っている。今後は、中国との協力関係を強化することで中国経済の国策においての恩恵をも受ける方向へ転換することも必要である。
(嘉悦大学)