ダイヤモンドオンライン 7月1日 柏木理佳
ビジネスで勝つ 中国人との付き合い方
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いちいち報告する日本人、自分で決断する中国人

「中国人はなぜ上司に報告しない」

中国人の部下を持つ日本人なら一度は憤慨したことではないだろうか。なにしろ日本の会社では、報告・連絡・相談(報連相)が常識なのだから。日本人上司ならば、「上司として信頼されてない」「なぜ上司の俺の存在を無視したのか」と思うはずだ。
しかし、誤解して欲しくない。中国人が報告しなかったからといって、決して上司を信頼していないわけでも、嫌いなわけでもないのだ。もっといえば報告を忘れたわけでも怠ったわけでもない。ただ単純に、もともと報告する意思がなかっただけである。
「それならもっと悪いじゃないか?」
日本人はそう思うかもしれない。しかし、中国人は基本的に個人主義者である。中国人に限らず外国人の多くは子供のころから常に自分で判断し、自分で決定している。ところが日本人は親が所属品のように扱い、常に誰かに相談し、誰かと一緒に判断する癖がついている。
つまり、中国人からすれば、「これくらいのことを、なぜ上司に聞かなければならないのか?」「なぜ報告しなければならないのか?」となる。そもそも、報告しなければならない理由がわからないのである。
報告を怠ったと怒る日本人に対して、怠ったのではなく報告の意思がなかった中国人部下。これくらいのことは自分で判断するのが当たり前、と考える中国人にとっては、なぜ日本人が怒っているのかさえわからないのだ。
中国人が上司に何かを報告するときは、自分への賞賛・評価、または、協力、アドバイスをして欲しいときである。もしくは自分が何か大きな結果を出したときである。報告することで、上司から何らかのアドバイスや協力を得られるならば、上司に報連相する時間を割くだけの理由になるのだ。しかし、報告してもただうなづいて、何もアドバイスしてくれない日本人の上司に対して、何のために報告するのか、まったく理由がわからないのである。

「そんなことくらい自分で決めて」とシンガポールの上司は言った

ところで、これは中国だけの話ではない。シンガポールでも同じだった。
私がシンガポールで会社設立に携わったとき、「合弁会社の人とともに工場を見学し、品質管理の結果」「不動産会社を訪問、新しく借りる事務所の賃貸料などの契約書の詳細」など日々の業務を毎日、シンガポールと日本の上司にFAXと電話で報告していた。ところがシンガポールでは「そんな細かいことはいちいち報告しなくていい。君に任せる。困ったときだけ相談にきて」といわれた。しかし、日本本社からは相変わらず日々の報告書を要求された。そのうち報告書を書くのに1時間以上もかかり、まるで報告書を書くために仕事をしているような気分にもなってきた。
27歳だった私は、不動産の物件を合弁会社のパートナーと勝手に決めていいのか不安だった。自分の責任にされるのは嫌だから、逐一報告していたのだ。それに対して、シンガポールの上司は「そんなことぐらい自分で決めてくれ、忙しいんだから」と、まだシンガポールに住み始めたばかりの私に決定権を次々に与えてきたのだ。もちろん大きなミスをしたらクビだろう。しかし、自分で判断できるということは、より真剣にビジネスに立ち向かえるということで、日本ではできない経験をさせてもらった。
日本人は信頼関係が築けてはじめて、少しずつ仕事を任せる傾向にある。そのうち、報告の義務を多少怠っても、文句を言われなくなる。しかし、中国など海外では、最初からある一定の仕事を完全に任せる傾向にある。
特に中国では、経済情勢がめまぐるしく変化している。国や省庁の政策もころころ変わる。チャンスはまさに今しかない。今即決しなければ商機を逃すのである。「本社に持ち帰って検討する」日本人は、その間にライバル社に抜かれてしまうのだ。
日本人は時間よりも責任感やコンセンサスを重視し、中国人は責任感よりも商機のためのスピードを大事にするという違いのために、双方に誤解が生じる。

報告することは本当に大事か?

日本企業の海外支社では、必ずといっていいほど現地のスタッフから苦情が出る。「日本の本社の決断を待たなければならないから商機を逃した」「現場でしかわからないのに。なぜ現場を知らない日本の本社で決定するのか」「決断に時間がかかりすぎる」。そして口をそろえて「ある一定の権限をゆだねて欲しい」と希望する。
確かに、中国をはじめ、多くの国では転職してきたばかりの社員に、すぐに仕事を任せる傾向がある。彼らが社内のシステムのことをよく知らないままに仕事上の判断をしたために、大きなミスになることもしばしばあるだろう。
しかし、いちいち細かいことまで報告することが、本当に必要なのだろうか? その理由は、実は責任問題になったときに自分の立場を守るためではないのか? もちろん、部下を守るためではないだろう。部下の失敗の責任を、日本の上司が本当に取るとも思えない。
部下を、仕事ができないと決め付け、信頼していないから報告させるのではないか。報告に費やす時間を無駄と感じたことはないのだろうか?
今後、雇用の流動化が促進することで、日本企業もこれまでのようなスタイルを維持することは難しくなっていくだろう。日本でも報告の簡素化や、責任を上司でなく個人に求める時代が来るかもしれない。