業績悪化のツケをまわされ、怒涛のように増え続ける非正規雇用者の契約打ち切りと、ついに1000人を超えた高校生、大学生の内定取り消し。オバマ氏の大統領就任で経済復活の期待に沸く米国とは対照的に、日本経済は重苦しく、今年はますます悪化することが見込まれる。
私が外資系企業に勤務していたとき、毎月のようにクビになるリストラ社員を目の当たりにしながら、めったにリストラをしない生ぬるい日本企業のファミリー企業的な体質を不思議に感じていた。そんな生産性の低いやり方でも倒産しないのは、業績悪化などを織り込んだ給料設定をしているためであり、外資系企業と比較して年収が低く抑えられている。同時に目先の給料の高さよりも長期的に雇用を守ってくれるからと、献身的に会社に貢献している日本人労働者と企業の関係を、奇妙な構造に感じたのを思い出した。
ところが今回の金融危機によって、それが見事に裏切られた。業績悪化が見込まれた瞬間に、日本企業は労働分配率を減らすためリストラを実施した。多くの企業において人件費の占める割合は全体のたった10%でしかないのにである。輸出減少が見込まれる中、内需を拡大するために、個人の年収を1割上げても会社全体の人件費の割合は11%しか増えない。そのうち社長の実名入りで「経営者が日本経済を崩壊させた」などという本が出版されもおかしくないほど、日本経済低迷を促進させている今の経営者は、歴史に残る汚点を残しているのではないか。
■日本以上に深刻な中国の失業者たち
一方、中国も失業率は日本と同じ4%だが、実際には数字以上に深刻な状態である。中国の場合、2億人近くもいる出稼ぎ労働者の数は失業率の中に含まれていない。職を失い農村地域に帰省できない人は駅で寝泊りし、日本のように派遣村のような施設もない。また、大学生の就職率は日本の8割よりも低く、6割余りである。しかも就職できても初任給は大幅ダウンしている。
このように失業者が溢れる中国にも、当然ながら失業保険制度は存在する。1998年、国有企業の業績が悪化したことで失業者が増加、プールされていた失業保険金が不足し制度が崩壊しかけたことを契機に、1999年「失業保険条例」を公布し、以来、失業保険制度を整備し充実させてきた。基本的に都市部の企業とその従業員は失業保険に参加しなければならず、企業は賃金総額の2%、従業員は自分の賃金の1%の比率で失業保険料を納付することになっている。
2003年には全国の失業保険参加者数は1億373万人に達し、現在、政府は年間平均700万人の失業者に失業保険を提供している。労働人口約8億人に対して加入者の割合が少ないのは、農民人口が8割近くを占めているからである。
■受給期間は長くても少なすぎる受け取り金額
各地域のプールされた失業保険基金が、実際に使用した額を上回った場合は、失業保険調節金で調節し、地方財政が補助することと定められている。失業保険を受け取る条件として、「失業保険料を満1年納付する」「本人の意志以外の原因で就業ができなくなった」「失業登録を済ませ仕事を探す意思がある」の3つを満たしていなければならない点は日本と大きく変わらない。
受け取り期間についてもさほど違いはない。中国の場合、企業と本人の保険料支払い期間の累計が満1年以上5年未満の場合、享受期限は長くて1年、満5年以上10年未満の場合、享受期限は長くて1年6ヵ月、10年以上の場合、享受期限は一番長くて2年となっている。また失業保険金の受取り期間中に病気になれば医療補助金、死亡した場合は遺族が葬儀補助金と遺族慰謝金を受け取ることができる。職業訓練のための補助金なども受け取ることもできる。その割合も日本と変わらない。
しかし、日本と大きく違う点は、受け取り金額が少なすぎることである。「中国労働統計年鑑2002」によると、2001年の平均年間賃金は10870元(約16万3050円)だが、失業保険はこの2割しか支給されない。日本のように賃金の5-7割もらえるわけではないため、これではまったく生活できない。そのため政府は、最低限の生活すらできない人には最低生活保障制度を設けている。農村でも最低生活保障制度が実行される地域が現れたが、中間レベルの人には十分であるとはいえない。
今後、政府は失業保険に力をいれざるを得ない状況にある。背景には、外資系企業の中国への進出と民間企業の増加により、効率の悪い多くの国有企業が急激に倒産に陥っている実態がある。社会主義体制の下では、労働者は国有企業で働く=公務員として生涯働くことが約束されていた。それが裏切られたショックは、デモとなって拡大している。
たしかに、手当ての厚い日本の失業保険では、働く意志があるようにみせかけ、実際は働かない人もいたことは否めない。だが中国では、物価が高い都市部では失業保険だけでは到底生活ができない。急激に経済が悪化する中国では、今後、失業問題が深刻な社会問題に発展することが懸念される。