オリンピックへの挑戦
 153人という史上最大数の選手団で挑んだ中国、そのオリンピックへの挑戦はまだ始まったばかりです。
 それを象徴するかのような演技が、中国のフィギュアスケートで初の銀メダルをとったフィギュア・ペアの張丹・張昊組2人でした。
 アメリカ国籍をとり、癌で他界した父に続いて自分の癌とも戦いぬけて挑んだ日本の井上怜奈とジョン・ボルドウィンペアを超えた感動でした。
 張丹・張昊組2人は、オリンピック初の大技のスロー4回転サルコーに挑戦、身長181センチ飄々とした22歳の張昊が、張丹をかかえ放り投げたもののジャンプ後の着水に失敗、左膝を強く打って、そのままフェンスに激突、それでも再開、何もなかったような完璧な演技は観客に強い感動を与えました。
 二人はコンビを組んですぐ、まだ13歳、14歳のときにに世界グランプリ・ファイナルに初出場、ジュニアのチャンピオンに輝きました。その後も2003年の世界選手権6位、2004年の世界選手権5位、2005年の世界選手権銅メダルと勢いは続きます。
 スロー4回転サルコーの世界初の技が期待されていました。それは成功できなかったものの、最後まで諦めない根性が審査員の心を動かしメダルを手にしたのです。
 しかしサイトなどでは「途中で休んだのになぜ銀メダルがとれるの?」「負けじゃないの?」「同情じゃないの?」などといった批判の声も上がっています。
 国際スケート連盟の規則ではアクシデントがあった場合は、最長2分間の猶予が与えられ再開は中断した曲のところから演技を始めることになっています。今回の中断は「2分以内だった」としています。今までも昨年の世界ジュニア選手権に出場した浅田真央選手が靴ひもがほどけたため演技を中断し途中から再開したなど似たようなケースがありました。
 今回の優勝はロシアのタチアナ・トトミアニナ・マキシム・マリニン組、ロシアは旧ソ連時代から通算12連覇もしています。2位と3位は中国が占めました。中国からは張丹、張昊組だけでなく30代の大先輩もメダルをとりました。2002年の「フィギュアスケート世界選手権」でトゥーランドットの音楽に乗せ優勝した恋人たち、申雪・趙宏博組です。
 日本勢の出場者はいないことを考えると、ウインタースポーツがはやり始めたばかりの中国としては優秀な成績ではないでしょうか。
 スポーツ市場が未熟でトリノオリンピックが開催されていることさえ知らない人が多い中国では、中国当局が「オリンピック講座」を開催して広く国民にルールやマナーの教育も始めました。書店では各スポーツのルールブックなどが販売されています。
 北京オリンピックを控えてスポーツへの普及など中国の挑戦はこれからが正念場をむかえます。